皆さんこんにちは。弁護士髙砂美貴子です。
取締役等の役員が退任後、新会社を設立して独立したり、競合他社に好条件で移籍するということは日常的によくみられることです。会社が更なる事業拡大を目指そうとしたとき、優秀な人材の確保は必須ですから、退任して起業又は他社に移籍しようとする役員は、学生時代の友人や先輩後輩、業務中に知り合った取引先の担当者や役員、交流会やパーティーで名刺交換した人、ビジネススクールの同級生など様々な人脈をたどって人材獲得に奔走します。運よく素晴らしい人材に巡り合い、自分の立ち上げた会社や移籍先の会社に一緒に加入してくれることになったら万々歳。しかし、その引抜対象者からしてみれば、現勤務先との関係で常に円満退職とは限りません。特に、優秀な人材であればあるほど、当該社員の離脱が現勤務先に与えるダメージは甚大でしょう。
本稿では、企業の成長・発展に必要な人材確保、特に、会社役員が新会社を設立又は他社に役員等として移籍するにあたり、前勤務先の従業員を引き抜いた場合に絞り、どのような法的責任を負うことになるのかについて解説します。
この記事でわかること
- 取締役の引抜行為が競業避止義務違反に当たるのか
- 取締役の引抜行為が忠実義務違反に当たるのか
- 取締役の引抜行為が不法行為に当たるのか
設例
X株式会社(以下「X社」という)の取締役Yは、X社取締役を退任し、X社の事業の部類に属する取引(以下「競業取引」という)を行う甲株式会社(以下「甲社」という)を設立した。X社の社員Aらは、X社の取締役Yの在任中に退職し、その後、甲社に就職して当該取引に従事している。
X社は、元取締役Yに対し、会社法423条1項に基づき損害賠償請求できるか。
取締役の「引抜行為」とは
まず、本稿では、取締役が、自己が株主、役員または従業員として関与する競業会社(当該取締役の在任中から存在した会社か否か、当該取締役が設立した会社か否かは問わない)へ移籍させる目的又は意図で、会社従業員に対し退職するよう勧奨する行為を「引抜行為」と定義することとします。
会社法の規定
会社法356条
1 取締役は、次に掲げる場合には、株主総会において、当該取引につき重要な事実を開示し、その承認を受けなければならない。
一 取締役が自己又は第三者のために株式会社の事業の部類に属する取引をしようとするとき
二~三 省略
会社法423条
1 取締役、会計参与、監査役、執行役又は会計監査人(以下この章において「役員等」という)は、その任務を怠ったときは、株式会社に対し、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
2 取締役又は執行役が第356条第1項(第419条第2項において準用する場合を含む。以下この項において同じ)の規定に違反して第356条第1項第1号の取引をしたときは、当該取引によって取締役、執行役又は第三者が得た利益の額は、前項の損害の額と推定する。
取締役の引抜行為が競業避止義務違反に当たるのか
- 前提
間違いやすいところなので注意して頂きたいのですが、取締役が自社と同種の事業を目的とする他の会社の代表取締役に就任すること、会社と同一の事業の部類に属する取引を行うことを目的とする会社を設立し、開業準備行為を行うこと自体は、会社の「事業の部類に属する取引」(会社法(以下「法」といいます)356条1項1号)には当たりません。そのため、これらの行為は、競業取引とはならず、これらに伴う引抜行為が競業避止義務違反とされることはありません。
もっとも、取締役が会社の財産若しくは会社に属する情報を持ち込まない、会社の乗っ取り若しくは会社の得意先を奪取しない等、会社の利益を奪取することが意図されていない場合に限られると考えるべきでしょう。
- 在任中に引抜行為をした場合
取締役Yが在任中に従業員の引抜行為を行ったが、競業会社の事業活動の開始そのものは取締役が退任した後であった場合、あるいは、取締役自身が競業会社を経営する立場にはない場合、競業避止義務違反の問題は生じません。
このような場合にも、競業避止義務違反を肯定すべきであるとの学説もありますが、(ⅰ)引抜行為を「事業の部類に属する取引」と解することは、文言解釈の域を超える、(ⅱ)退任後の競業取引にまで会社の承認を要求し、承認を得なければ損害額推定の特則(法423条2項)が適用されるとするのは、退任後の取締役の職業選択の自由等を過度に制約するものであり、妥当ではない、との理由から、競業避止義務違反にはならないとするのが通説です。
その帰結として、取締役による引抜行為が競業避止義務違反に当たりうるのは、取締役が在任中に新会社(競業会社)を設立して事業を行い、かつ従業員の引抜行為を行って、会社従業員を新会社に移籍させた場合等であることになります。
- 退任後に引抜行為をした場合
取締役が退任後に引抜行為をした場合、競業避止義務違反、忠実義務違反及び善管注意義務違反は問題になりません。この場合、不法行為の問題、当該取締役と会社の間で退任後の競業を禁止する旨の特約が締結されていた場合、その特約違反の問題が生じるにすぎないことになります。
取締役の引抜行為が忠実義務違反に当たるか
取締役の引抜行為が忠実義務違反に該当するか否かについては、学説上、①取締役が従業員を引き抜けば(本稿における「引抜行為」に限定されない)、それだけで忠実義務違反になるという考え方(厳格説)、②取締役が行った従業員の引抜行為のうち、勧誘の方法、取締役の退任の事情、取締役と引抜対象者との関係(子飼いの部下か否か等)、引き抜かれた従業員の会社における待遇、引き抜かれた従業員の人数等会社に与える影響の程度等諸般の事情を総合考慮して不当な態様のもののみが忠実義務違反となるという考え方(不当勧誘説)があります。
同質説(取締役の忠実義務(法355条)は善管注意義務(法330条、民法644条)をより明確にしたものであり、会社の利益を犠牲にして自己の利益を図ってはならないという義務は、善管注意義務の中に当然含まれると解する立場)を前提にすると、②不当勧誘説が妥当であると考えられます。
取締役の引抜行為が不法行為に当たるか
取締役が在任中、会社の従業員に対して移籍を勧誘することは、個人の転職の自由を尊重する見地から直ちに不法行為を構成するわけではありません。その勧誘方法が背信的で一般的に許容される転職の勧誘を超える場合、社会的相当性を逸脱する引抜行為として不法行為を構成すると考えられています。
そして、社会的相当性を逸脱するか否かは、転職する従業員のその会社に占める地位、引き抜かれる従業員の人数、従業員の転職が会社に及ぼす影響、転職の勧誘に用いた方法(退職時期の予告の有無、秘密性、計画性、虚偽の情報伝達、一斉退社等)諸般の事情を総合考慮して判断されます。
取締役による引抜行為 | |||
在任中 | 退任後 | ||
競業会社における業務開始時期 | 在任中 | 競業取引 | ― |
退任後 | 債務不履行(忠実義務違反・ 善管注意義務違反) 不法行為 | 不法行為 |
まとめ
以上が、取締役が社員を引き抜く場合の法的問題点です。
会社役員が退職して起業したり、会社と対立して競合他社に移籍するということはよくあることですし、それに伴い、新事業に必要な優秀な人材を前職から引き抜くということも少なからず起こりうることです。事業の成長にとって人材確保は必須の重要事項ですが、(元)取締役の「引抜行為」が原因で損害を被ったなどとして会社から損害賠償請求されれば、新会社での業務に支障が出ますし、場合によっては高額の損害賠償を負担しなければならなくなります。
このようなトラブルを回避するために、本稿を参考に十分注意して人材確保を進めてください。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。